著 者 | マイケル・サンデル |
訳 者 | 鬼澤 忍 |
発行者 | 早川 浩 |
発行日 | 2021.4.25 |
ページ数 | 332 |
ハーバード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一にあたる家庭の出身だ。にもかかわらず、彼らは判で押したように、自分が入学できたのは努力と勤勉のおかげだと言う――
人種や性別、出自によらず能力の高い者が成功を手にできる「平等」な世界を私たちは理想としてきた。しかしいま、こうした「能力主義(メリトクラシー)」がエリートを傲慢にし、「敗者」との間に未曾有の分断をもたらしている。この新たな階級社会を、真に正義にかなう共同体へと変えることはできるのか?
超人気哲学教授が、現代最大の難問に挑む。
表紙袖より
メリトクラシーとは
IQと努力により、職業や収入などの社会経済的地位が決まる社会。一見それは平等で、理想のように聞こえる。
昔の、出生が全てを決めて底から這いあがれない階級社会よりは、はるかにましだろう。でも、弊害もある。
第1に「不平等の蔓延」「格差の助長」「自信の喪失」
180頁にこんな言葉が。「能力主義の理想は不平等の解決ではない。不平等の正当化。」
成功も没落も自分の「能力次第」とされれば、不平等と格差が生じ、敗者は自信を無くす。
第2に「学歴偏重社会」及び「労働の尊厳の損傷」
未曾有の学歴社会。成功するために大学入学は必須。大学に入るために子供は青春の全てを注ぐ。金持ちは大金を積んで、子供を有名大学へ入学させる。ここでも貧富の差が明確に出る。
そして成功したエリートは自分の成功を全て自分の努力の賜物であると勘違いし、敗者を蔑視する。努力できないやつが悪い、と。
エリートたちはそうしてブルーカラーの人たちの尊厳を踏みにじり、労働の尊厳を損なう。
第3に「民主主義の腐敗」「官僚主義」
頭がいい「だけ」の人間が世の中をよくできるのか?大金を積んで入学したエリートは、自分の努力を信じられず、自己肯定感が低く、精神的にも幼い。そんな彼らが政権を握ったとして、社会の問題を解決する力はあるのだろうか。
努力すれば成功できる?
そうではない環境の人もたくさんいるだろう。国、人種。豊かな国に生まれても、努力することすらできない環境の人もいる。
いい大学に入って、努力して成功できる人達。それは本当にあなたの実力だけですか?
努力が報われる環境にいたからでは?努力が報われる時代に生まれたからでは?
いい大学に入るために相当の努力をして、苦労もしただろうけど、その土台に立つことすらできない人達が、確かにいる。
学歴社会
大学に入らなければ、成功はできない。
お金持ちの子供は、お金持ちに。貧乏人の子供は貧乏に。
子供のころからの教育の差で、もう将来は決まってる。
努力と才能の帰結として出世や没落することは正しい。けど、全員の条件は一緒ではない。
努力は必要。だけど自分の力(才能)だけで生きているわけではない。
力を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげ。自分の手柄ではない。
自分の運命は偶然の産物であることを感じれば謙虚さが生まれる。
運命が味方していなかったら、自分も貧困になっていた。
感 想
悪い環境から努力で成功した人たちもたくさんいる。確かにそれはその人がたまたま努力が報われる環境にいたからかもしれない。
でもその人がした努力は本物だろう。
本書を読んで思い出したのは「はじめの一歩」の鴨川会長の言葉「努力が全て報われるとは限らん。だが、成功したものはみなすべからく努力しておる。」
ぼくが思うにこの言葉の大事な点は「成功したもの」っていうところ。
出生で成功している人は、努力の必要はない。ただ、自分なりの「成功」を実現するためには努力は必要ってこと。
努力が報われる環境にいるかはわからない。努力がそもそもできない環境かも知れない。
でもそれが、努力をしない理由にはならないんだと思う。報われるか報われないかは、してみないとわからないんだから。
大事なのは、謙虚さをもつことなのでしょうか。