ショウペン・ハウエルの「読書について」を読み終えたので、感想を書きます。
なかなか刺さる言葉ばかりでした。自分の読書、見直そうかな。
愚者の読書とは・・・・・・
読書は精神に思想を押し付ける
読書にいそしむ精神が外から受ける圧迫は甚だしい
多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る
書物から読み取った他人の思想は、他人の食べ残し
読書は思索の代用品
読書は他人に思索誘導の務めを委ねる
読書は他人の頭で考えること
読書は旅行案内を見るだけで、現地に行かないようなもの
読書は他人にものを考えてもらうこと
先生が引いた線を鉛筆でなぞるようなもの
多読の結果愚者となる
本文より
読書について
自分の基礎の肉付けにする
思索は現地を旅するようなもの
努めて古人を読むべし。真に古人の名に値する古人を読むべし。今人の古人を語る言葉、さらに意味なし
本文より
新刊書について
現在文学の悲惨→著作による金銭獲得
金が必要な者が本を書く。愚かな民衆がそれを買う。言語が堕落する。
低俗な著作家の大多数は、新刊書以外は読もうとしない民衆の愚かさだけを頼りに生きているに過ぎない
毎日のように出版される凡俗の駄書
毎年はえのように無数に増えてくる駄書
大半は読者のポケットから金を抜き取るのが目的
新しきものの善きものたることは稀なり。善きものの新しきものたること、つかのまにすぎざればなり
古物で昔からの概念、買い漁った古道具にすぎず、複製品をさらに複製したかのように擦り切れて色艶も失せている。型通りのいかにも陳腐な文句に流行語をお織り交ぜた文体
本文より
感 想
いや~、ハウエルさん、言いたい放題言いますね!
特に新刊書に対する言葉は過激です。それを読む民衆への諫言も厳しいこと。
流行の本などただの小銭稼ぎだと言い切っています。1年もすれば消えると。
さらに悪書である、とまで言っています。読者の金と時間を奪うものだと。
今まで読んでましたよ!自己啓発本やビジネス本!
まあ、確かに最近の本って似たような本多いですよね。結局古典に書かれているような内容だったり。
成功法も、それってただその人がたまたま成功しただけだったり、再現性ないようなものだったり。
同じ人が同じ様な本出してたり。違う人が同じようなジャンルで同じようなこと書いてたり。
自己啓発本やビジネス本、最近本屋行っても買う気にならないと感じてたことの本質を著者に気付かされた気がします。
じゃあ、何を読むんだと。読書自体が無駄なのかと。そうではありません。
要は、「古典を読め」と言っています。
それも真の天才が書いた古典を読みなさい。ギリシアやローマの。
しかも原語で。翻訳は著作者の真の意図を解さない場合が多いから。
古典を解説する本もダメだそうです。解説者の余計な意図が加わるから。そういう人達もただの小銭稼ぎだと言っています。
難しい古典を読んで、考えなさいってことですね。
でも古典って理解できない部分もあるから、解説してくれる本、個人的にはありがたいですけどね。
自分の血肉にするにはある程度料理されていないと無理なので。いいものでも食べれないと意味ないですもん。
著者はいろいろ言っていますが、結局読書は楽しめばいいんじゃないでしょうか。
娯楽のための読書も大切ですし、勉強のための読書も大切だと思います。
自分が読みたい本を読みたいように読めばいいんだと思います。
ただ、著者の言う「思索」の大切さも理解できます。
新刊書に対する考えは同意できる部分もありますが、新刊書の中には将来古典と呼ばれるような素晴らしい本もあると思います。(著者は1世紀に1ダースに満たないと言ってます。)
よって、ぼくは新刊書を読むことはやめません。吟味はしますが。
この本を読むことで、自分の「読書のしかた」を見直すきっかけになるのではないでしょうか。
せっかく時間を使って本を読むなら、有意義な時間にしたいものです。