趣味等

マインドフルネスを勉強していたら仏教に行きついたので、仏教について書いてみた。

最近、マインドフルネス瞑想をやっていて、いろいろな本を読んでいました。

やっぱりルーツは「禅」からきているようで、大元は仏教です。

ですので、マインドフルネスをちゃんと理解したくて、仏教についていろいろ調べみました。面白かったので、皆さんに紹介します。

この記事では仏教とはなにか、概要がわかるようになっています。歴史とかは書いてません。ぼくが興味あったのは、仏教っていうのが何を目的としている宗教で、なぜ「瞑想(禅)」をしているのか、という点です。その点について知りたい方の役には立つのではないでしょうか。

仏教の目的は

仏教って何を目指しているのでしょうか。その目標は「涅槃寂静ねはんじゃくじょうの境地に至ること」です。

涅槃寂静とは、「煩悩が消滅した静かで安らかな状態」のこと。

仏教の世界観

仏教では「この世は苦しみである」という前提で話が進みます。

その「苦」からの解放を目指すために、専心努力することで「真の幸福」を得ることができる。

では、その苦しみとは何なのか。

それは、よく聞く「四苦八苦」というやつです。

「生老病死」の4つと「愛別離苦(愛する人との別れの苦しみ)」「怨憎会苦(憎む者と会うことの苦しみ)」「求不得苦(求めるものを得られない苦しみ)」「五蘊盛苦(人間の肉体と精神が思うがままにならない苦しみ)」の8つの苦しみのこと。

苦しみの正体とは

苦とはなんなのか、それは「無明」の状態からうまれる「煩悩」のことです。

無明とは真理を知らないまま欲望に身を任せている状態のこと。

この「真理」については後程言及します。ここでは、じゃあ「煩悩」とは何かってことです。

煩悩は「三毒」から発生するもの。

三毒は「貪欲(満足を知らない強欲)」「瞋恚:しんい(自分勝手な怒り)」「愚痴(無知な状態)」の3つです。

三毒より生じる、おごり高ぶる心や、他人を疑う心、執着する心、自暴自棄になること等がすなわち「煩悩」です。これらが四苦八苦になっていく。

苦から逃れるために

ではその煩悩から生まれる「苦」から解放されるためにはどうすればいいのか。

ここで「真理」が登場します。

真理とは「四諦」といって、以下の4つを言います。

①苦諦(くたい):苦が生まれる原因を考え、その原因を明らかにする。人生には苦があることを認める。

②集諦(じったい):人生は本質的には苦である。生きることは苦しみの連続であり、煩悩の集合である。

③滅諦(めったい):苦しみの原因である煩悩を知り、それを消滅することが苦の消滅であると知る。

④道諦(どうたい):いかにすれば苦しみを超えられるか。八正道を実践する。

八正道

八正道とは8つの正しい道であり、これらを心がけることで「中道」を目指す考えです。

①正見:正しいものの見方であり、四諦という根本的な展望を忘れないこと。

②正思惟:正しい思索であり、煩悩や怒りや人を害する思考にならないこと。

③正語:正しい言語活動であり、虚言や妄言、乱暴な言葉使いは避けること。

④正業:正しく生きることであり、殺生、偸盗、邪淫といった行動を避けること。

⑤正命:正しく暮らすことであり、極端を避けた適切な衣食住を保つこと。

⑥正精進:正しく努力することであり、善に向かい悪を避ける努力をすること。

⑦正念:正しい理想のことであり、心身の現象を絶えずチェックする。

⑧正定:正しい精神統一のことであり、欲望を離れるための適切な瞑想を行うこと。

修 行

八正道を体現するために僧たちは修行をします。

その修行が「三学」と言われており、「戒」「定」「慧」の3つです。

戒とは「五戒」「八斉戒」「十戒」「具足戒」の4つがあり、僧のレベル?階級?というのかわかりませんが、その身分によって守るべき「戒」に違いがあるみたいです。

戒とは戒律のことであり、これを守ることで次の「定」を実施する土台ができるわけです。

五戒をちょっとだけ紹介しておくと、無駄な殺生はしない、とか酒は飲まない、とかそんな感じのものです。

「定」がいわゆる座禅(瞑想)のことです。仏教の修行は瞑想が主みたいです。

瞑想をすることで、「慧」を得て、「解脱」に至るそうです。

「慧」はすなわち、物事の本質を理解すること。それにより本質には煩悩も苦もないことを悟るようです。この辺は難しくてよくわかりません。

まあその慧を得ることで解脱する、と。

解脱は最終目標であり、涅槃寂静に至る、「煩悩からの解放」のことです。要は「解脱するために瞑想する」ってのが仏教の簡単な説明になるんですかね。

仏教を知ったうえでのマインドフルネス瞑想とは

ぼくが仏教について概要を知ったうえで、マインドフルネス瞑想について思うこと。

仏教の主要な考えの一つに「諸行無常」というものがあります。

祇園精舎 (ぎおんしょうじゃ)の鐘の声――でおなじみの平家物語の冒頭に出てくる言葉です。

この世は常に変化している、ってことですよね。そして、その変化に気付きながら、意識せず、傍観し、執着を捨てる。ってのが仏教の禅では大事な考えみたいです。

これは瞑想の中の「洞察瞑想」にあたるものだと思います。仏教でいうと、「定」の中の「修得の禅定」かな?

洞察瞑想って、やってみると難しいんですよね。浮かんできた考えを、判断せずに手放すって。この洞察瞑想をやらないと、瞑想の効果は最大限に得られないので、やっぱり洞察瞑想はやりたいですからね。

でもなんていうか、禅が修行だってわかると、難しいのも納得っていうか。最初はできなくて当たり前だとか、そんな風にも思えて。修行だからもうちょっと頑張ってみようかな、とか思えたり。ああ、それ以前に生活態度を改めないと、って考えたり。

そんな感じで、瞑想に対する向き合い方を考えさせてくれたのが、仏教を調べてよかったと思うところですかね。

まだまだ未熟者ですが、もう少し瞑想という習慣を続けながら、自分の変化に気付いていきたいと思うのでした。

参考

保坂 俊司/史上最強 図解仏教入門(史上最強図解シリーズ) /ナツメ社

中村圭志/教養としての仏教入門 身近な17キーワードから学ぶ/幻冬舎